「はい、そこでどんな死に方をしようか迷っているお嬢さんに、耳寄り情報!」
「うひゃぁぁっ!」
突然目の前に現れた男に、椿は驚いて後ずさりし、フェンスへと背をぶつけた。不意をつかれたのはもちろん、ありえないことだったからだ。
椿の眼下には、ビルと住宅と道路で構成されたパノラマが広がっている。つまり、足につける地がなかった。思わず、椿は男の足元を確認する。
「ない……」
「あるじゃないですか、健康そうな二つの足が」
「違うチガウその下がないんじゃボケぇぇっ!」
宙に浮いている男に、椿は即座につっこみをいれた。
姿かたちだけをみるならば、彼はどこにでもいそうなサラリーマンだ。入社して五年目、夢を抱いて入社してきた時と違ってしっかり現実が見えてます、けれどメシのために働きます、みたいな。その体つきと髪型から、なんとなくスポーツ系だ、と椿は判断した。何の根拠もないが、イメージとはそんなものである。
なんだか冷静に分析しているようだが、その勢いはもはや現実逃避に近かった。そうやって男が普通の人と分類できるよう埋め合わせをしても、浮いている事実は変えられない。
「もはや死後なのか? そうなのか!? そうならそうと言えーっ!!」
混乱で普段あまりしない言葉遣いで叫ぶ椿。これでも花の乙女十六歳。
その彼女に対し、男は異常なほどにこやかに返した。
「あっはは、死後も同じ世界だったらつまんないじゃないですか」
確かにそうだが、だったら現れないで欲しい。どう考えたって、男は生きている者じゃない。混乱の片隅で、椿は切実に思う。
不意に風が吹いて、椿の頬を撫ぜた。それで、これから何をしようとしたか思い出す。
「……とりあえず、何の用だか知りませんがソコどいてくれませんか?」
据わった目で異様なオーラを放つ椿に、男は場違いなほどに朗らかな声で言った。
「だから、そこでどんな死に方をしようか迷っているお嬢さんに、耳寄り情報!」
「屋上でフェンス越えてる時点で、どう考えても迷ってないだろうが!」
眦をつり上げて渾身のつっこみを入れる少女に、やはりかみ合わない表情と声音が返った。
「本当にそうするつもりですかぁ?」
バカにしたような口調で、男が首を傾げる。そんな度胸などないだろう、と言われたような気がして、椿はむっとした。
「そうですよ。今からやってみせますから」
「スカートはいているのに?」
「どういう関係があるんですかソレ」
思わず自分の格好を一瞥してしまってから、椿は男に問う。
椿はこれが最後だと思い、一番お気に入りの服を着ていた。このスカートは、ふんわり加減が椿の好みで、即買いしたものである。
「だって、パンツ丸出しですよ」
さらりと言われた言葉に、椿の思考が停止する。目をまばたかせる彼女に、男は続けた。
「目撃者とか、騒ぎを聞きつけてきた人たちに、パンツ丸出しの姿見られるんですよ。人々は死者を悼む前に自分の腹が痛むでしょう。丸出しですから」
否定する言葉を口にする前に、椿の頭は勝手にそれを想像してしまった。ふんわり感が気に入ったのだが、それがアダになったか。確率は百パーセントではないものの、低いわけでもないだろう。丸出し……丸出しか。
つい悩み始めた椿に、男はにこやかに言う。
「そこで!そんなあなたにオススメ商品。その名も『痛くナイフ』!」
「いらんダジャレをつけるな」
手にしていたスーツケースをぱかりと開けて男が取り出したのは、何の変哲もないナイフだった。鞘がついているのではなく、折りたたみ式だ。
「これで自分の胸を一刺しすれば、間違いなくあの世へ一っ飛び。一切痛くありません!」
――――痛くないなら、いいな。
パンツ丸出しの道はなるべくさけたいと思った椿は、じっとナイフを見た。
「いくら?」
「なんとたったの五千二百五十円」
なんだその消費税。というか、なぜ金で取引ができる。
そう思ったが、つっこむのも面倒になったので、椿は別の言葉を口にした。
「ソコのかばんに入ってるから。釣はいらないわ」
ちょっと言ってみたかった言葉もついでに言ってみた。フェンス越しに、無造作に放り出したスクールカバンがある。確か一万円は入っているはずだ。
男はじっとカバンをみたあと、にっこりと笑った。よく笑う男だ。これがいわゆる営業スマイル、というやつだろうか。
「はい、確かに。では、このナイフの使い方ですが」
「刺すだけでしょ?」
「その際、嫌いな相手か誰か思い浮かべる必要があります」
ちらりと、椿の脳裏に浮かぶ顔があった。嫌いな相手を思い浮かべれば、力も入るからであろうか。しかし、男は予想とは違う言葉を述べた。
「なんとこのナイフ、思い浮かべた相手が犯人に仕立て上げられる便利な機能つきなのです」
「いらねーよそんな機能」
思わずつっこんでしまったあと、椿は不機嫌そうに口元を歪めた。別に、嫌いなんだからいいじゃないか、と心が言う。その一方で、そこまでするか、と心が言う。――――腹が立つ。そもそもフェンスを越えたのは、当てつけるためなのに。
「そうですかー? じゃあ、これはどうですっ」
男はナイフをカバンに戻すと、今度はハリセンを取り出した。
「…………」
しらける椿に、男は自慢げに言う。
「これは『ハリセン』です」
「見りゃわかるわボケ」
つくりかけのペーパーフラワー、というには厳しい。
つっこみに気にする風もなく、男は機能を紹介する。
「これで頭を叩くと、一発KO天国へGO!」
「買った!」
はい、と手をあげた椿に、男は人差し指を立てて言った。
「ただし、誰か一人を思い浮かべながらじゃなきゃいけません」
「また犯人に仕立て上げるとかいうわけ?」
半眼で問う少女に、男はにこやかに否定する。
「違います。自動的に心中することになります」
「それはそれで性質悪いわー!」
もしそのハリセンを受け取った後であれば、男の頭をスパーンとやっていたであろう勢いだ。
「だって、やっぱりツッコミにはボケがいないとダメじゃないですか。だから二人であの世に」
「どっからきたその理屈は」
深く溜め息をついて、椿は首を振った。
「もういい。電車に変える」
「ええっ? 本気ですかぁ?」
先ほどに似た嫌な響きに、背を向けてフェンスに手をかけていた椿は振り向く。
「…………何」
「ほら、そうすると電車に遅れがでるじゃないですか。だから多くの人に恨みを買うんですよね。他に方法があんだろ、みたいな感じで。その恨みが降りかかって、間違いなく自縛霊になるんですよ」
「じっ―――――別に」
強がってそっぽを向く椿に、男はにこやかに説明する。
「いやぁ大変ですよあの職業の方は。なんせ毎日がグロテスクですから。テリトリー内で死の気配を感じると真っ先に駆けつけて、その血に浸るんですよ。スプラッタが好きな方には好評ですが」
「…………なんか、一人用の小道具ないわけ?」
ホラーもスプラッタも苦手な椿は降参した。
「じゃあこんなのはどうです。『飲み薬クレイジー』」
意味わかんねえよ。
名づけた者の顔を見てみたくなるが、商品そのものは何の変哲もない、小瓶に入った黒い錠剤であった。なんだか某漢方薬を彷彿させる。
「これを飲めばあなたは願ったとおりの死亡原因がカルテに書かれます!もちろん痛みはありません」
「それって何のトクがあんの?」
「大人の事情ってやつです」
笑顔で意味不明のことを言い切った男を、椿は胡乱気に見遣る。
「で、今度はさっきみたいなへんなオプションはない?」
「もちろんですよ。――――あ」
ラベルをざっと見た男は、営業スマイルで自信満々に頷いたあと、声を漏らした。ものすごく人を不安にさせる声を。
「何?」
ガンつけるようにして、低い声で問う椿に、男は早口で説明した。
「あ、いや、原材料に空飛ぶGが混じってるだけで、特に変なことはありませんよ。大したことじゃありません」
「ならお前が飲んでみろや」
「いやです」
男は素晴らしい速度で拒絶した。椿だって嫌だ。アレは名前を口にするだけでも嫌なのだ。実体を口にすることなど、死んでもできるか。
「そんなワガママなあなたにはこれ」
「ワガママゆわれたくないわ」
「『レッツ人魚姫』なんていかがでしょう」
だから名づけ親出て来い。
「この水を飲めばアラ不思議。海に飛び込んでも苦しむことなくイけます」
「海遠い! 遠いよ!」
まずどこがいいか選ぶところから始めなければならない。
「じゃあ、プリンセスシリーズ第二段! 『魔女印のラブラブ毒リンゴ』」
もはやたかが名前につっこむ気すら起きない。
「今度はどこにオチがある」
男は荒んだコメントを受け、新たな商品の説明を始めた。
「いやですねぇ、オプションはありますけどオチはありませんよ。あ、ちなみにオプションは、一緒に食べた相手と、将来巡り会えるんです。カップル用のアイテムですけど、一人でも使うことができます。ただ一人で生まれ変わるだけで」
「誰がそんなむなしいことするか!」
悪かったな、相手がいなくて。吼える椿に、男はスーツケースの中をごそごそとさぐる。
「えぇと、一人用アイテムなら確かまだあったような……これだ!『呪いの藁人形』」
なんだかスゴく嫌な予感がする。そう思った椿の予想と男の説明は、似たり寄ったりであった。
「これに自分の髪の毛を入れて、四百四十四回釘で打ちつけるんです」
「面倒な上に気分悪いわ!」
普通ならば、呪いたい相手の髪の毛を入れ、丑の刻に五寸釘で打つ。それを自分に向けてやるのはあまりにも自虐的ではないだろうか。
「えぇ〜?時間制限をとっぱらった革新的アイテムで、験担ぎでもあるんですよ〜。『死、死、死』みたいな」
「そこ、縁起よくする意味あるんですか?」
「別に大した意味はありませんが。心惹かれません?」
「惹かれねー!」
セールスマンは「まったく文句の多い方ですね」とぼやくと、懐をまさぐる。
「きっとこれなら……」
その言葉は、トタン板の屋根に飛び降りたようなうるさい音に遮られた。誰かが屋上の扉から入ってきたのだ。
反射的に、椿はそちらへと振り向く。見慣れた人物が目に入り、動きが静止した。
「希!」
その場に縫い付けられたように動かない椿の下に、少女が一人駆けてくる。
「なにやってんのバカ!」
ヒステリックな声で、少女は泣き叫ぶ。だが椿は動かない。動けない。
それにじれたのか、少女はフェンスに手をかけ、足をかけた。
「ちょ、何やって」
「そっちに降りるために決まってんじゃない」
「わっ、わっ、ちょっ、落ち着いてってゆーか落ち着け、まあ話し合おう!」
本来ならばそれを言われる方である椿が説得にかかる。だが少女は止まらない。
「わかった行く行くちょっと待て!」
椿ががしょがしょと登り始めると、少女はやっと動きを止めた。
「…………」
「…………」
再びコンクリートに足をつけた二人は、どちらも半ば据わった目で互いを見る。
しばらくそうしてから先に口を開いたのは、椿より幼い顔立ちの少女であった。
「何してんのさ」
バツの悪さを感じ、椿は目を逸らす。
「……別に」
この期に及んでしらばっくれる椿に、少女は瞳を険しくして怒鳴った。
「何勝手なことしてんのよ!」
感情をストレートにぶつけてくる少女につられたように、椿も負けじと怒鳴る。
「別にあたしをどうしようったってあたしの勝手じゃない!」
少女の眦が一層釣りあがった。
「あーまさかこんな時にそんな陳腐な言葉聞くとは思わなかった! ごめんで済むんだったら警察いらない、とかそれぐらいどうかと思うよそのセリフ」
「あんたのためにわかりやすくしたのよ。眼をなまこと言い間違えるようなあんたには丁度いいでしょ!?」
「何恩着せがましいこと言ってんのよ。波浪警報をハロー警報と勘違いしてたのはどこの誰!?」
「うるっさいわね、どこの誰でもそれくらい一度は間違えるわよソレ」
程度の低い言い合いをした後、希は肩で息をしながら呆れた。何をやってるんだろうあたし。予定と大幅に違うこの現状がひどく滑稽なものに思える。
応酬する気力を無くしたような椿に、少女は幾分ひきしめた表情を向けた。
「ふざけんじゃないわよ。こっちは気分悪いわ。あたし関係ないのに。一生!後悔に苛まれんだから」
「…………」
「なんで気づかなかったんだろう、あの時ああしてればっていう後悔とか。悲しむ私のことを考えてくれなかったんだろうっていう自分の存在価値のなさとか。そんなことで悩んで悩んで悩んで一生悩み倒すのはごめんだよ! その責任負う覚悟はあるワケ!?」
感情の昂りを現すかのように、その目から涙が零れ落ちた。先ほどまで悪態をついていた口からは、もはや嗚咽しかでてこない。
自然と椿の目からも涙が零れ落ちた。頑是無い子供のように、なぜ泣いているのか自分でもわからない。ただ、何かが悲しかった。涙が止まらない。
辛いことがあった。
死んでやろうと思ったのは当てつけで。憎む相手だけのことを考えて、自分のことを思ってくれている人のことなど全く考えていなかった。そんな余裕もないから、死を考えたんだけれど。それが人を否定する行為に繋がるなんて、思わなかった。
何がしたいんだろう、何をすればいいんだろう。
二人だけの屋上には、慰めるわけでも嘲笑するわけでもない風が吹いて、涙をさらっていた。
「ふーやれやれ」
先ほどまでスーツを着ていた男は、今やスウェットに着替えていた。こっそりと姿を消した後、着替えた(という表現は些か語弊があるが)彼はコンクリートの上で寝そべっている。具現化を解いたので、少女たちには休日のお父さんのような男の姿など、全く見えないであろう。
少女が二人寄り添うように屋上から出て行く姿を見送りながら、呟いた。
「頼むからもうここ来るなよー」
この屋上は男のテリトリーなのである。ここで自殺者を出してしまうと、後々面倒なことになるのだ。だから、嘘八百を並べテキトーな小道具を使って、椿の気を削いでいた。
年若い少女の世界は狭いのか、老成した大人が見て余地がある状態でも、残された道は死しかないと思い込む。まあ、あの女の子がなぜ屋上の端っこに立ったのか、自分は全く知らないのだが。
少なくとも、本心から泣いてくれる人が一人でもいるならば、一生に一度しか訪れないソレに自分から身を委ねることに、責任を持たなけばならないであろう。殊に、原因がその人にないのであれば。
「ああ、死んだら空飛ぶGに生まれ変わるっていう触れ込みも、効果あるかもな」
屋上からコードレスバンジーしようとする人たちに対抗すべく、男は新たに妙な商品を練るのであった。