だが、人々の間には諍いが絶えず、お上は治安維持のために奉行所を作った。
これは、エドの奉行所で働く男たちの物語である。
「先輩」
少年の面立ちを色濃く残す若い男は、隣を歩く長身の男に声をかけた。その声音は頭上に広がる空に反し、幾分暗い。
そんな彼を、すれ違いざまに振り返る人は少なくなかった。
かといって、若者の羽織袴姿にみすぼらしいところはなく、ざんばら頭も見苦しくないよう切りそろえてある。腰に刀を差しているが、特定の仕事に就いている者には帯剣が認められているので、それも気に留める要素にはならない。顔立ちも特異なところはなく、強いて言えば少々女顔なだけだ。振り返るほど美男でも醜男でもない。もう少し年を重ねれば、その評価も変わってくるだろうが、今のところはその程度。
いたってごく普通の男だ。ウザいほど落ち込んでいるように見えること以外は。ただ、人々に彼を振り返らせた主な理由はその異様なオーラではなかった。
「なんだ?」
答える男こそ、誰もが振り返るいい男。袖に手を入れてゆったり歩くさまは、どこからどうみても良家の子息。実際、彼は
若い男は、隣を歩く年長の青年に疲れたような声音で問いを口にした。
「俺たち、なんでこんなことしてるんでしょうか」
色男は整った顔立ちにやんわりと微笑をのせて答える。
「それはな、腹黒じじいさまがご命令なさったからだよ、さっちん」
「
覇気はなかったが、実介がつっこむ速度は速かった。どうやらそのあだ名は許せないらしい。
男は噛み付くように反応した後輩を窘めることはせず、優しい声音で返す。
「いやいや、これはお奉行サマが決めた呼び名だよ。君はさっちん、俺はよっしー」
その声音と表情の中にからかいの色が混じっているのを、実介はイヤというほど知っていた。後輩で遊ぶのが趣味なのだ、この二面性のある男は。
「
実介は強調するように男の名を呼び、ついでとばかりに抗議した。だが、実介より掌一つ分も背の高い彼にはどこ吹く風。
「そうだねえ、俺をよっしーと呼んだら手伝ってあげることもなくはない」
優しそうな顔をして、さらさらといい加減なことを言う。
「呼ばせるだけ呼ばせといて、持たないつもりでしょう。その手には乗りませんよ」
「さすがさっちん。よく俺のことがわかっているじゃないか」
そんな褒め言葉はいりません。
悪びれもなく言う吉武に、実介はそれ以上抗議する気も起きずに肩を落とした。その目に、両手にぶら下がるビニール袋が目に入る。それを見て、実介はさらに肩を落とした。
何も、荷物が重いからではない。実介のひょろっこい腕でも普通に持てる。
問題は中身なのだ。
それは、帯剣が許される職業の者が持つようなものではなかった。
十八になる男が持つようなものではなかった。
ついでにいうと、男の子供が持つようなものでもなかった。
「ほら、ぼけっとしない。そこ入るぞ」
吉武が顎をしゃくって示したのは、『玩具屋』の看板を掲げた店。実介たちは先ほどから、このような店に出入りしていた。
「いらっしゃいませ」
カウンタ―越しに告げた主人は、実介と吉武を見て、一瞬ぽかんとした。それもそうだろう。いくら少年の面影を残した痩せ型の十八才とはいえ、実介は腰に刀を佩いた大の男。吉武など、実介とたった三つしか違わないと言うのに、青年の風格を漂わせる色男だ。そんな二人連れが入ってくるのは珍しいだろう。
だが、さすが客商売。店主はすぐに満面の笑みを浮かべて接客をはじめた。
「何をおさがしで」
涼しい顔で、吉武が買い求める。
「りかたん人形をあるだけ」
山間のせせらぎを連想させる声音には不似合いな注文に、主人の満面の笑みが少々歪んだ。
それを見て、実介は思う。先ほどから感心しているのだが、吉武はよくこうさらりと買えるものだと。実介の持つ袋の中身は、吉武がそうやって買い求めたものだった。明らかに女児をターゲットにした雛を、帯剣の好青年が在るだけ欲しがる。なんとシュールな光景だろう。
それを持つほうも結構恥ずかしいのだが、購入するよりましである。もし実介が買う立場だったなら、訊かれてもいないのに「妹のために」などと言い訳する自信があった。
「申し訳ございません。当商品は大変人気があり、品を切らしております」
石化から回復して、主人は眉を八の字に変えて告げる。
それもしかたない。りかたん人形は少女たちの間で結構人気があるのだ。特に、色とりどりの着物を揃えるのがハヤりらしい。これまで入った店も、似たり寄ったりの在庫状況であった。手元にあるのは、三体しかない。まあ、実介としては一体あればことは足りると思うのだが。
品切れの言葉に、吉武は不快な様子も見せずに諾った。
「結構な人気だね。着物の方も売れているのかい?」
「はい。ああ、プレミアものの着物ならありますよ。もう人形はあるようですし、いかがです?」
目ざとい店主は、実介の持つ袋の中身を見て勧めてくる。
実介は肩身の狭い思いで、黙って立っていた。頼むから自分に視線をやらないで欲しい、と思いながら。
そんな彼とは対照的に、吉武は饒舌だ。カウンター代りになっているショーケースに軽く半身をもたれさせ、雑談に興じる。
「ああ、十二単だろう」
「よくご存知で」
今にも揉み手をしそうな店主は、頷きながら相槌を打った。
「近所の子供が、知らないおじさんにもらったと話していたのでね」
実は、その話が事の発端になったのだ。
実介の主であり、吉武の上司である奉行所巣鴨守
『りかたん人形を買い占めて来い』
全くもって職権乱用だ。
実介などは良仁お抱えの武士だから、私用を頼まれても当然文句は言えない。が、吉武は奉行所に勤める役人であって、使いっ走りではない。部下は上司のパシリなのだ、と言ってしまえばそれまでなのだが、それにしてもやりきれないであろう。
「ええ!? あれを、ですか」
目をぱちくりさせて、店主が問い返してくる。こうして驚かれるのは、初めてではなかった。これまでの店主も同じような反応をしたのである。
なんでも、それはプレミアものだけあって、りかたん人形と同じ、いやそれ以上に入手し難いものだそうだ。そのため、一部の『まにあ』の間では、高額で取引されているらしい。
店主の反応を受け、吉武は緩やかに瞬く。
「おや、その人物のことを聞いたことがなかったかい? もしかしたら、お宅で買っていった客かもしれないね」
「うちには来たことがないと思いますよ。ここしばらく、これをお出しするような客は来ていませんから」
そのやりとりも、先ほどから繰り返されていた。値を聞いていないが、よほどな額であることが予想される。子供の玩具にどういう値段をつけているのだ、と実介は思った。
今の返事で頃合いとみたのか、吉武はショーケースから体を離す。
「そうか。失礼したね」
それを合図に、実介はさあ出よう疾くでようと言わんばかりの勢いで出口に向かった。背後にかかる「ありがとうございました」の声にいささか疑問のような声音が混ざっていたのは、気のせいだと思いたい。
店を出たところで、二人は後ろから声をかけられた。店主ではない。成長期入り始め特有の声。
「サスケ、ヨシタケさん」
「ちょっと待てコラ文彦、俺は実介だ。しかも、なんで俺はさん付けじゃないんだよ」
声の主である少年に、実介は文句を言った。相手はナマイキざかりな年頃であるが、この辺はきちんと教育しておかなければなるまい。
実介の近所に住む文彦は、小さい頃よく構ってやったものだ。その名残で、今でもこうして声をかけてくる。実介とよく行動を共にする先輩の吉武とも自然と触れ合うことが多くなり、今では実介を抜きにしても仲がよい。というか、実介以上に懐いている。
どうやら彼は塾帰りのようで、肩にカバンを引っ掛けていた。近くの駄菓子屋に、同じような格好をした少年グループが見える。どうやら、そこから実介と吉武の姿を見かけて声をかけたらしかった。
文彦は十二歳という年齢よりも大人びた顔で、にやりと笑って言う。
「雛遊びするような男は、サスケでじゅうぶんだろ」
その発言には十二分に誤解があるので、実介はきっぱり返す。
「俺の趣味じゃねえ」
「あーあ、最近ヘンなの増えたよなあ。ハルも変なおっさんが人形遊びしてたと言ってたし」
頭の後ろに手を組んで、文彦は実介の抗議を聞き流した。おまけに失礼なことを言ってくれる。なおも反論を試みようとした実介だが、脇から発言権を捕られてしまった。
「文彦。もしかしてそれ、プレミアものの着物をあげるってヤツか?」
会話に加わってきた吉武に、文彦は頷いて見せる。その顔は意外そうだ。それも頷ける。主に女児の間で流行っているネタなのだ。あるいは、「まにあ」というやつか。実介にとって誠に残念ながら、吉武にはそんな趣味はなかった。
なので、文彦は当然と言えば当然と言える疑問をぶつける。
「知ってんの?」
「おハルちゃんって子の話じゃないけどな。人形を交換されたって怒ってたよ」
そう。吉武の言うとおり、話を持ち込んだ少女・お朝は自慢話をしにきたのではなく、愚痴りに来たのだった。
話せば長くなる。なんでも、「知らないおじちゃんがね、十二単をくれるって言ったの。−−−−え、知らない人からものをもらっちゃいけない? ついていかなければいいじゃない。母さんは貰えるものはもらっとけ、っていうわよ。話をそらさないでよ。でね、アサが着せてあげたかったんだけど、おじちゃんが『あげるから着せ替えをやらせてくれ』って言うから、貸してあげたのね。男だとかイイ年した人だとか、差別しちゃいけないもんね。そしたら、おじちゃんの持ってる人形と交換してくれって言い出したのよ? でも、アサはりかりんが気に入っていたから、ヤダっていったの。てゆーか、ヘンなおじさんの持ち物って考えただけでヤだし。−−−矛盾してる? 女は矛盾してるイキモノなのよー。んでね、なのにおじさんは別のりかたん人形と十二単をアサに押し付けて、りかりんを持ってっちゃった」らしい。以上引用終わり。
随分長くなったが、要約すると「知らないおっちゃんが十二単を駄賃に勝手に自分のと人形を交換していきやがった」であろう。女児用の人形をわざわざ自分で着せ替えたがるというのは、実介にとって理解しがたい趣味である。しかも、他人のを。
それを聞いた文彦は、首を傾げた。
「えぇ?そんな話は聞いてないな。ハルの話だと、おっさんは人形を着せ替えたあと、ちゃんと返してくれたみたいだけど」
お朝と違うその証言に、吉武は顎に手を当てる。柔らかな面立ちにおもしろげな表情がちらりと浮かんだ。
「へえ、妙だな。他に、似たような話を聞かなかったか?」
「確か、サトもそのおっさんに会ったって言ってたな。やっぱり、ちゃんと返してもらえたみたいだぞ」
「なんで『同じ』ってわかるんだ?」
実介が口を挟むと、呆れ顔で言われた。
「へんなお面つけて、甘いんだかこの世の終わりなんだかわからない匂いさせたおっさんが、そうごろごろいるわけないだろ」
全くそのとおりだと思うが、お朝から風体までは聞いていなかった実介である。そこまで変人だとは思いもよらなかった。というか、そんな人間が闊歩していてよく通報されないものだ。
「で、なんでソレ買ってんの。しかも三つも。ソッチに目覚めちゃったわけ?−−あ、あれだろ。サスケ、相手にしてくれる女がいないから、人形に……」
「今すぐその口ふさいでやろうか」
首をロックされた文彦は、じたばた暴れながらも減らず口を叩く。
「だって、それしか考えらんねえだろ? おっさんもじろじろ見てたって言ってたし」
どうやら、人形を交換されたこと以外は本当にお朝と全く同じようだ。お朝も似たようなこと言っていた。よっぽどなヘンタイさんらしい。
「もし他に似たような話を聞いたら、教えてくれるか? あと、おハルちゃんとおサトちゃんを含めて、人形を持っている子がいたら、奉行所に遊びに来るよう言ってくれ」
実介にげんこつをくれてやった先輩は、腕から脱出した少年に頼む。
「そうだなあ、甘いお菓子で手を打とう」
利かん気の強そうな目を悪戯気にくりっとさせて、抜け目のないお子様はそうのたまった。
「ああ。用意して待ってるよ」
後輩に意地悪な先輩だが、吉武は子供には優しいのである。微笑んで快諾し、絶対だぞ、と手を振る文彦に手を振り返した。
「もう、帰りますか?」
まだ回っていない店は結構残っているが、実介はそう提案した。これ以上は必要がないだろうと判断したからだ。それは、在庫状況がどこも同じようなものだから、というわけではなかった。
「そうだな。ひとまずは引き上げよう」
買出し開始時には東にあった太陽は、もう西のほうへと傾き始めていた。