witchcraft 4.初のお客は人魚!?
4.初のお客は人魚マーメイド!?
 男二人が引き上げたその夕方、妙齢の女性が店を訪れた。
「いらっしゃいませ」
 元気よく挨拶するメルに、女性は不安と期待を入混じらせた表情で軽く頭を下げる。
 動きにあわせて揺れる、腰まで伸びたアイスブルーの髪がメルの目をひいた。上げた顔にバランスよく並ぶのは水浅葱の双眸。穏やかな気質を表すかのように柔らかい光を宿しており、可愛らしい印象を与える。大人の女性でありながら、同時に少女らしさも秘めていた。その肌も姿勢もきれいで、一目で舞台に立つ人だとわかる。だが、巫徒である少女が察知したのはそれだけではない。
「ええと、あなたがメルさんかしら」
 遠慮がちに問う女性の声は、洗練されたものながら、少女のような甘さをそこはかとなく感じさせる。メルは頷いてみせた。
「はい。リビアおばさんに代わって、仕事を請け負います。よろしくお願いします」
 ぺこりと頭を下げたメルに近づいて、女性は潜め声でカウンター越しに訊ねる。
「その……こちらの事情は……」
「承知しております。セリーヌ・シャンティさんでございますね?」
 言い当てたメルに、セリーヌは目を瞠った。それから、得心のいったように言葉を口にのせる。
「ではやはり、あなたも巫徒でいらっしゃるのね」
「はい」
 個人客について、メルはリストをもらっていた。全員を覚えたわけではないが、セリーヌは珍しいお客だったので記憶に残っていたのである。
 そこで、ふとメルは疑問を抱いた。
「確か、まだ薬を出す時期ではなかったと存じますが」
 リストにはつい先週出したばかりだと書かれていた。だからまだ、在庫のチェックはしていなかったのだが。
 セリーヌは困り顔で頬にその繊細な手を当てた。
「それが……うっかり水浸しにしてしまいまして」
 どんだけうっかりなんだ……。
 大層な女性のうっかり具合に、メルはつっこみに走りそうになった自分をなんとか抑えた。相手は客である。
「さ、左様でございますか。では、在庫を見て参りますので、お掛けになってお待ちください」
 カウンターの席に促し、自身はアイテム置き場へと入っていった。メルは薬草の位置はだいたい把握している。ほどなくして十日分ほどの薬を見つけ、ほっと胸を撫で下ろした。手早く薬を包み、店へと取って返す。
「とりあえず、十日分お出しいたします。お作りしておきますので、後日改めてお越しください」
 セリーヌは差し出された薬を受け取ろうとして――――――。
 ガンっ
 カウンターに右手をぶつけた。痛そうにその手を押さえる。
「だ、大丈夫ですか?」
 慌てるメルに、セリーヌは痛いのを押し隠して笑って見せた。
「気にしないでください。ちょっとおっちょこちょいなもので」
 本当にちょっとなのだろうか。
 メルはなんとなく、この人が薬を水浸しにしたのが納得できた。
「では十日後に取りに来ます」
 会計を済ませたセリーヌを見送りながら、メルは不安を覚える。
(あのひと、ちゃんと十日分の薬を無事に使えるのかなぁ)
 早めに作りあげた方が無難なようだ。
 思い立ったがすぐ行動。メルは再びアイテム置き場に足を踏み入れ、薬を作るべく薬草を探した。
 が。
 りんりん
「すいませーん」
 聞こえてきたのはベルの音、泣きそうな声音。ついでにいえば、聞き覚えのある人の。
 嫌な予感を抱きつつ、メルが店に顔を出すと、予想通りセリーヌが立っていた。
「薬を野良犬にとられてしまいました……」
「早っ!!」
 思った以上に早く薬を駄目にした妙齢の美女に、メルは速攻でつっこんだ。五分も立たないうちに戻ってきたのだから、それも仕方ないだろう。
「えーと、どうしましょう」
 セリーヌが上目遣いに問う。そのさまはかわいらしいが、それだけで薬がどうにかできるというわけでもない。
 メルは非情な言葉を告げる。
「あれは一日置かなければならないので、同じ物を今すぐにというわけにはまいりません」
「そんなぁ」
 この世の終わりのように、セリーヌはよろよろとカウンターに手をついた。美人がそのようにすると痛々しく見える。たとえ、それがとんでもなくおっちょこちょいな理由からくるものであっても。
(まあ、問題自体はなんとかならないわけでもないからなぁ)
 メルは誤解を解こうと口を開く。
 が。
「どうにもならなぃい?」
 ぐわしっと。
 その細い腕に似つかわしくない力で、セリーヌはカウンター越しにメルの胸倉を両手で掴んだ。その目は潤んでいるが、この状況ではとてもじゃないが見惚れることはできない。
 驚いているメルを気にも留めず、見た目繊細な美女は異様な迫力を背負いながら切々と訴える。
「ううう、確かに私が悪いんだけど。でもでも、働かないと明日のゴハンさえ危ないのぉぉぉっ。劇場で出るまかないで食べてる私なのよっっ!仕事に出ないとゴハンがないの。薬がなきゃ仕事できないのに、うぁぁぁぁんっ」
 なんだその売れないアイドルみたいな生活は。
 がくがく揺さぶられながら、メルは冷静に脳内でつっこんだ。
 そこへ。
「きゃぁ」
 セリーヌから解放されたメルが見たのは、セリーヌの顔に覆いかぶさっているアルであった。どうやら、主が攻撃されていると思ったらしい。
「アル、おいで。セリーヌさん、ごめんなさい」
 メルが手を差し出すと、アルはセリーヌから離れ、腕を伝って主の肩へと落ち着いた。些か不満そうに鼻を鳴らす。爛々と輝く瞳はまだセリーヌに向けられているが、主の命通り肩から動くことはなかった。
「ああ、ごめんなさい。気が高ぶっちゃって……」
 乱れた髪を手で梳きながら、セリーヌが謝る。その静的な佇まいは、先ほどと比べるとギャップがありすぎだ。
 ふと、メルはその身なりを見てあることに気がつく。
「セリーヌさんは歌手ですよね。そんなにお給料が悪いとは思えないんですが……まさか、身づくろいにお金をかけすぎているのでは……」
 彼女が着ているワンピースは、派手ではないものの、よく見ると手の込んだ作りをしている。ふわりと広がる裾は絶妙なラインを保っているし、胸元のレースは服の持つふんわり感を引き立てるような配置をされている。生地も上等なもので、とてもじゃないが明日のゴハンを心配する人間のものではなかった。
 だが、セリーヌは首を横に振る。
「いえ……これは、お客様にいただいたものです」
「なら、どうして」
 この美貌ならば貢ぐ客も少なからずいるであろうが、それならば支出は逆に少なくなる。歌姫の得る報酬はそのランクによってまちまちであるが、セリーヌならば普通に生活できる以上のお金を稼いでいるだろう。
 その答えは、メルを唖然とさせ、同時に納得させるものだった。
「実家に仕送りしたまではよかったんですけど、そのあとグラスやら高級なお酒やらを大量に壊してしまったり、他のゲストさんの衣装を破いてしまったりしてしまいまして」
「ドジっ子とかの域越えてますが」
 セリーヌは「そうなのよねえ」とか呑気に頷くが、メルとしては肯定している場合ではないような気がする。ほっといたら餓死してしまうのでは、という危惧から、メルは提案した。
「いざとなったら、プレゼントを売っちゃったらどうです?」
「そんなことはできないわ。お客様に申し訳ないもの」
 毅然とした態度で、セリーヌはその提案を却下した。その眼差しはまっすぐで、歌姫としての誇りと客に対する誠実な姿勢を感じさせる。
 それもつかの間で。
「だから、たとえ雑草を食べても――――うっうっうっ」
 いっそ食べ物を送ってあげた方がいいんじゃないだろうかこの人。
 メルは溜め息をついて、言いそびれていた代打案の存在を口にした。
「方法は、あります」
 その言葉に、セリーヌは手で覆っていた顔をぱっとあげる。
「きゃーっ、さすが稀代の巫徒ね!」
 抱きつきながら言われた言葉に、メルは凍結した。
「今、なんて?」
「天才巫徒なんでしょう?リビアが褒めてたわ」
 一転して明るいセリーヌとは対照的に、店番娘はがっくりとうなだれた。どれだけハードルを高くする気なのだろうか、リビアは。
「あああ、プレッシャー」
「そんなことはどうでもいいから、どうすればいいか教えて!」
「どうでもいいとか言った!」
 存外にヒドいセリフをはいた歌姫に、メルは思わず叫ぶ。
 しかし、返った言葉は。
「あら、別にいいじゃないの。前評判がよくなきゃ客は来ないわ。客が来なければ元も子もないんだし。別に、いい加減なものを売っているわけじゃないでしょう?」
「――――」
 その前向きな言葉に、メルは虚をつかれた。セリーヌの言葉は最もだ。作り手が自信を持てない商品を、誰が買うというのか。やはり、客を持つ者の言葉は違う。
 そう、見直したのだが。
「ということで薬くすり明日のゴハンっっっ」
(人気の歌姫が、明日のゴハンのことで目を血走らせるのって……)
 メルはなんとなく、舞台裏を覗いてしまった気分になった。
「じゃあ、ちょっと取ってきますんで待っててください」
 先ほどまで丁重だったメルの言葉は、もはやフランクになっている。だが、セリーヌは気にしたそぶりも見せずに頷いた。
「これです」
 メルが持ってきたのは、水差しとコップ、そして半透明の白い粉であった。別に怪しい薬ではない。というよりも、薬ではない。
 セリーヌはそれが何なのかわからなかったようで、首を傾げた。
「これは?」
「塩です。アントゥレ海の水を使って作りました」
 説明しながら、メルはコップに水を注いで粉を入れる。それは下に沈むことなく、さっと溶けた。
 アントゥレ海とは、メルの故郷、リエーブル島を囲む海のことである。その海水を使って精製した塩は、もちろん通常のものとは違う。
 それを、セリーヌは納得した様子で飲んだ。
「あ゙ー美味っ。懐かしい味っ」
 爽やかに言い放って、ことんとコップを置く。まるで酒を飲む親父のようなその言を聞いた者は、幸いながらメル一人であった。
「もしかして、アントゥレ海に居たことがあるんですか?」
「そうよ〜。友達がそっちにいてね。私はクルレ海出身だから」
 ほほう、とメルは頷いたが、何も事情を知らない者が聞いたら首を傾げる会話である。
 『海』出身というセリーヌの言は、その海域に面する土地の出身、という意味とは違った。言葉どおり、クルレ海が故郷なのである。決して紛らわしい町の名前などではない。
 そう、セリーヌは只者ではなかった。
 人魚である。
 そのことに、メルはすぐに気がついた。だから、リビアの客の中で唯一の人魚である、「セリーヌ」という客であるとわかったのである。
 人魚も魔物の一種とされ、人々に受け入れられている存在ではない。だが、幻の種族とされていることに加え、人型をとっていれば普通の人間はおろか、生半可な知識を身につけた者でも見分けることなどできないのだ。だから、セリーヌは歌姫としての地位を手に入れることができた。
 しかし、それは薬の存在あってこそのものである。通常、人魚は長い間海を離れていることなどできない。ましてや、ここのような山の中に位置する街になど。せいぜい三日が限度だ。陸地の乾いた風が、体を弱らせるのである。そして、海水に浸ることは栄養を摂取しているも同然のことであった。その両方のことがあり、人魚の陸地住居は自殺行為とされている。
 セリーヌに処方されていた薬は、体の機能を陸地用に切り替える効果のあるものであった。要するに、それを補うことができればいいということである。だから、メルは人魚の栄養分である海水を作りあげたのだ。しかも、特殊な精製法を用いている上に、それを溶かした水もまた海水から精製したものであるから、通常のものより質が格段に上である。
「どうですか?二、三日は持ちそうですか」
「ええ。これならリビーズブートキャンプをしながらでも歌えるわっ」
「それは歌手生命の方がヤバくなるので止めた方がいいかと」
 どんどんキャラが壊れていく歌姫に、メルは半眼でとりあえずつっこんでおいた。人魚はそのほとんどが生まれ育った海の性質をその性格に反映させるという。クルレ海は波が激しいんだなと結論づけた。
「ところで、ソレ、あなたの使い魔?」
「はい、そうですけど?」
 はしゃいでいたセリーヌがふと指したのは、アル。だから、メルは頷いた。
 陸地に住む人魚はその細い指を顎に当て、何か考えるような表情で問う。
「つけているの、制御石じゃないように思うんだけど。大丈夫なの?」
 彼女が何を指して大丈夫かと問うているかといえば、魔術の心得のある者に騒がれないか、ということだ。メルは口にこぶしを当てて返答に窮する。
「うーん、大丈夫だとは思うんだけれど……実証はないですし」
 セリーヌがすぐに見破ったのは、自身が魔の存在に近しい者であるからだが、リビアも見抜いた。この土地にいる魔女がどれだけの者かメルは知らない。
「まあ、気をつけることね」
 その人魚の言は、メルではなくアルへと向けられた。
 アルはというと、唸りこそしないものの、シッポが立っている。戦闘体制一歩手前だ。
 なんとなく敵意のあるようなセリーヌの声音に、メルは先ほどのことを根に持っているのかと思い、弁解した。
「先ほどはすみませんでした。私の監督不行届き―――」
「別にさっきのことを怒ってるんじゃないわ」
 さらりと言われた言葉に目を瞬かせたメルは、ある可能性に思い至る。
「もしかして、相性悪い……とか」
「だって、人のことをエサか何かのように見てるんですもの」
 そこで、メルは一人と一匹(場合によっては二匹でも可)の種族を考えてみた。
 アル→ネコとウサギを足して二で割ったようなもの。
 セリーヌ→人と魚を足して以下略。
 ――――なるほど。
 二つの種族は生息地を異にしているので、知らなかったメルはぽんと手を打って納得した。
「さてと。長居しちゃってごめんなさいね。そろそろお暇するわ」
 立ち上がったセリーヌに、メルは冗談交じりに言う。
「おっちょこちょいには気をつけてくださいね」
 その彼女の前で、歌姫はイスの足に躓いてこけかけた。
「…………ほんとに、気をつけてくださいね」
 エヘ、と言わんばかりに笑ったセリーヌに、メルは思いっきり不安な面持ちになる。
 やっぱこの人、ダメかも。
 
 その明後日、薬を作りあげたメルは劇場へと足を運んだ。ケンカをするとアレなので、アルはお留守番である。本当は薬を取りに来てもらう予定であったが、あまりにも不安であったので、届けに来たのであった。セリーヌは劇場に住み込みで働いている。――――それだけお金がないのか、あまりにもドジな彼女を見かねた雇い主が傍に置いたのかは謎である。
 劇場の入り口で事情を説明すると、複数あるうちの一つのホールに案内された。昼間は営業していないので、キャストが舞台で練習しているそうだ。
 舞台脇から覗くと、今まさにセリーヌが練習しているところであった。舞台の上でスポットライトを浴びて歌う彼女は、はじめに会ったときの少女のような雰囲気や、食の心配を訴えていたような情けなさなど、微塵も感じさせない。繊細な外観とは裏腹に、人を呑み込むような立ち姿だ。ホールが声をどう響かせるのか、スポットライトがどのような効果をあたえるのか、彼女はよく熟知していた。
 桜色の唇から奏でられる歌は、さすが人魚というか。どこか郷愁を誘うその声は、人の心を掴んで放さない。まさに、舞台は彼女の玉座であった。
 すっかり見惚れていたメルは、歌い終わったセリーヌが気づいて声をかけるまで、何をしに来たのかを忘れていた。
「ああ、薬を持ってきてくれたのね。ありがと」
 はっと気づいたメルは、腕に抱えている薬を見て当初の目的を思い出す。
「あーそうでした。……やっぱりセリーヌさんは歌姫ですね。普段もあれくらいだといいんですけど」
「あなた何気に言うわね。――――まあいいわ。で、代金のことなんだけれど……現物でいいかしら?」
(人気の歌姫が、現物払い)
 別に等価のものであれば問題はないが、劇場の前にあった看板を思い出すと、メルはなんともいえない気分になる。
「かまいませんけど、何をくれるんですか?」
 セリーヌがカバンから取り出したのは貝を重ねて作られた入れ物であった。手のひらサイズのそれは、紅を入れるにはやや大きい。細工用に薄く削ってあるのか、貝は軽かった。
 メルはそれを受け取り、中身を検分する。
「…………」
 現物を確認した少女は思わず、コメントしそびれた。それはまかないだとか、劇場からちょろまかした備品であったからではない。品物はきちんと薬代に見合うものだ。そうであるのだが。
 その動揺を知ってか知らずにか、セリーヌが説明する。
「見てわかるかと思うけど、それ人魚の鱗ね。調合のアイテムになるんでしょう?」
「ええ、なりますが――――」
 人魚は幻の生物とされているぐらいだから、その鱗も当然希少価値がある。そのため鱗を使った調合法もごく僅かだが、オリジナルで使う分には充分役に立つ。
(役に立つけれど……)
 どこから調達したのか、メルは考えるのを放棄した。元を考えると使いづらくなる恐れがある。
「それと、無茶を言ったお詫び」
 セリーヌが新たに取り出したのは、ピンク色をした渦貝であった。一目で術具であると判断したメルであるが、さすがに効能まではわからない。故意に空けられた穴と形から判断するに、楽器のように扱うのだろうか。貝独特の光沢が綺麗であるので飾りとしてもいいかもしれないが、やはり術具としての興味の方が勝った。
 問うためにメルが口を開こうとしたが、セリーヌが先回りする。
「これを吹くと、うふふふふ」
「なんですかその笑いは」
 語尾にハートマークがつきそうな勢いで忍び笑いをされ、メルは思わずヒいた。綺麗な貝が、一気に怪しげな術具として映ったから不思議だ。
 だが、続くセリーヌの言葉は特に変な効能をほのめかすところなどなかった。
「とぉっても綺麗な音が出るのよ〜」
「それだけのことでヘンに笑わないでください警戒しますから」
「あら酷いわ」
「――――でも本当にいいんですか?」
「もちろん。これからお世話になりますってのも含んでるし」
 軽い応酬をしたものの、純粋に嬉しかったので、メルは素直に礼を言って受け取った。
「ありがとうございます」
 初仕事は成功だ。
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