美形で猪な婚約者と平凡で爆弾魔な私

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前編

1.そうだあいつを焼き猪にしよう

 ミュリエルは婚約者に不満を抱いている。
 一つ、同じ美形の祖先がいながら、彼だけ美形なこと。
 一つ、同じ英雄の子孫ながら、彼だけ優秀なこと。
 一つ、婚約者の癖に、甘い言葉一つ口にしないこと。
 一つ、さらさらの金髪に寝癖がつかないこと。
 一つ、猪になる呪いがかかっているくせに、いくら食べても人間姿は太らないこと。

「やっぱり、一度は焼き猪にしないと気がすみませんわ」

 右手に青い炎を浮かべながら呟くと、向かいで盾を構えている婚約者・グリゼルダが顔をしかめた。

「おい何物騒なこと言ってんだ。一度焼き猪になったら終わりじゃねぇか」

 場所はミュリエルの家の敷地内。現在国内で最も頑丈な結界が張られた平原。離れた所ではミュリエルの母親がにこにこと見守っている。

「目指します猪の丸焼き!」
「令嬢のセリフじゃねぇっ!」

 渾身の炎魔法をぶつけれど、グリゼルダは盾に防御魔法を纏わせて打ち消した。
 これは盛大な痴話喧嘩ではない。国に課せられた訓練である。

「せめて炙り焼きなのです」

 ……訓練である。嫉み妬みを訓練にかこつけて発散しようとして居るわけじゃあない。
 ぐるりとグリゼルダの回りを火で囲ったが、それもすぐ鎮火されてしまった。

「今日も攻撃魔法一択かよ。守護魔法で腕をならしたご先祖様が泣いてんぞ」
「はいドッカン」

 余裕ぶった表情で禁句を口にした婚約者に、ミュリエルは額に青筋を浮かべて両手を挙げた。同時に、グリゼルダが爆風とともに吹っ飛んだ。

「てめっ、殺す気か!」

 どさりと草原に転がったグリゼルダ、それでもむくりと起き上がるところは、流石英雄の子孫と言ったところか。大した傷もない。強いて言えば、さらさらの金髪が少し乱れたぐらいか。

「貴方を焼き猪にして、私は炎の魔導師として名を馳せるのですっ」
「むしろ英雄殺しの汚名になるだろ」

 あまり知られていないが、ミュリエルは炎の魔法が大得意である。婚約者に歩く爆弾魔と言われるぐらいに。

 ところで。

 そこで周りに被害が出ないよう、のほほんとした顔で結界を張っているミュリエルの母もまた、英雄の子孫だ。しかしその腕は、治癒魔法で真価を発揮する。ミュリエルの弟もまた、母に似て守護系の魔法を得意とする魔導師だ。

「ああくそ、服も治癒魔法で直りゃいいのに」

 そこでぶーたれている婚約者は攻撃魔導師であるが、いざとなれば守護系魔法も使う。ミュリエルより余程上手に。

(一つ、私より治癒魔法が上手、も付け加えておこうかしら)

 ミュリエルは炎魔法の才には恵まれたが、守護魔導師として名を馳せたご先祖様のような才には恵まれなかった。治癒魔法だとか、結界魔法だとか、そういった才能が。個人としては優秀な方かもしれないが、英雄の子孫としては、落ちこぼれだった。




2.イケメンは呪われる

 今こそこの国は平和であるが、五百年程前は魔族の侵攻を受け、滅亡直前にまでなりかけた。それを食い止め復興させた者たちが、ミュリエルとグリゼルダの祖先とその仲間たちだ。

 グリゼルダの祖先である、英雄・メルヴィンはさらさらの金髪に瑠璃の瞳の美丈夫だったという。 侵攻してきた魔族の王を倒したのは彼だ。
 イケメン、飛び抜けた武力、傍らには綺麗な婚約者。そんな男に倒される魔族を神が憐れに思ったか、はたまた世の男の恨み辛みが手助けしたか。メルヴィンは魔王の死に際に呪いをかけられた。

「天に二物に三物も与えられたやつに、罰を! 非モテ男の恨みを! 皆、オラに力を分けてくれー!」

「「「「おおおおっ!」」」」

 そんな感じで、多数の怨念をぶつけられた英雄が負ったのは、この呪いだ。

 猪になる呪い。

 国内屈指の守護魔導師である婚約者にも、彼の呪いは解けなかった。身を粉にした末がそれとは憐れだが、それでも婚約者が彼と添い遂げてくれたのは、不幸中の幸いだろう。
 さてこの呪い、彼一人の身だけでは済まなかった。生まれてきた息子もまた、猪になる呪いがかかっていたのだ。
 憐れに思った国王は、ある取り決めをした。守護魔法に長けている家の娘を、英雄・メルヴィンの子孫の婚約者にすると。さすれば、いつかは呪いも解けるだろうと。

「どこから出たんですの、その謎理論」

 その迷惑な取り決めのお陰で、ミュリエルは生まれたときからグリゼルダの婚約者だ。お陰で、巷の小説のようにときめくような経験はこれまでない。それは決して自身の平凡顔のせいではないだろう、そうだろう。
 どうせなら、一定時間猪になるなどという中途半端なことをしないで、不細工になる魔法でもかければよかったのにとミュリエルは思う。それならば、あんな風に女の子に囲まれて鼻の下を伸ばしている婚約者を見ることもなかったのに、と。

 グリゼルダは猪になる呪いがかけられているが、人前で猪になったことは殆どない。ある程度、猪になるタイミングをコントロールができるからだ。初代はできなかったというから、少しは当時の国王の考えも間違っていなかったのか。

 それはさておき。
 そういう理由で、彼を囲っているお嬢さんがたはグリゼルダの猪姿を見たことがない。英雄の子孫のことは有名だから、猪に変化することは知識としては知っているだろうが、目の前のイケメン情報によって隅に追いやられているのだろう。英雄の血のなせる技か、グリゼルダも美形だ。隣に並びたくないほどに。

 ミュリエルは踵を返した。彼にも、取り巻きの女の子にも気づかれたくなかった。
 金糸の髪、緑の瞳はミュリエルもご先祖様と同じ。けれど、ミュリエルは眠たげな一重で、ぱっとしない顔立ちだった。母も、弟も、ご先祖様に瓜二つの美形だと言うのに。



「エル? お前王城で物騒な魔力纏ってんなよ」

 後ろからかかった声に不機嫌な顔で振り向けば、先ほどの取り巻きはどうしたのか、グリゼルダが一人居た。

「焼き猪の前に、てっぺんハゲかしら」

 王のおわす城でなければ、即実行しているところだ。

「お前、てっぺんハゲの婚約者の隣に立ちたいか?」
「M字ハゲでもよろしくてよ」

 そうすれば、少しは容姿の劣等感を緩和させることが出来るだろうに。

 不意に、華やかな声が割って入った。

「エル!」

 第一王女・ベリンダ姫である。ミュリエルはスカートの端を摘まみ、グリゼルダは胸に片手をあて、それぞれ礼を取った。

「来てくれてありがとう。少し待っていて貰うことになるけど、いいかしら」
「勿論ですわ」
「グリゼルダ、ミュリエルを借りるわね」

 にこりとベリンダが笑い、グリゼルダも承知しましたというように爽やかな笑みを浮かべる。

 ベリンダがさっと歩き出してしまったので、それはほんの束の間であったのだけれど。文句のつけようのない美男美女のやり取りは、ちくりとミュリエルの胸に刺さった。




3.禿げましょう貴方から

 ミュリエルは家格と年齢を鑑みてベリンダの学友に選ばれてから、プライベートの話し相手としても頻繁に城に呼ばれていた。他の学友と共に呼ばれることもあるが、愚痴大会になるとき呼ばれるのは大抵ミュリエル一人だ。
 何故かって。

「また、お兄様と比べて怖いと、陰口を叩かれてしまいましたの」

 チート男に苦労させられている、お仲間だからである。
 第一王子であり、ベリンダの兄であるエミールは文句なしの美形で、さらさらの銀髪に紫水晶の瞳が羨ましい、理想の王子様である。王太子に相応しい風格に、勉学の才に、人望に、幾つも持ち揃えている彼の欠点を、ミュリエルは知らない。
 そんな兄を持つベリンダは、年が近いこともあり、昔から比較されてきたという。容姿でも、勉学でも、魔術でも。そのせいで、辛い思いをしてきたそうだ。何一つ敵うことのない婚約者がいるミュリエルは、その気持ちが痛いほどわかる。

「私もエルのようにおっとりとした顔立ちに生まれたかったわ。背だって、低く生まれたかった。そうでしたら少しは愛らしく見えたでしょうに」

「そんな、リンダ様の美貌が勿体無さすぎますわ! 背だって、低身長は着こなしが限られますの」

 確かに、ベリンダは王子に比べきつい顔立ちをしているが、王子に負けじ劣らずの美人だ。地味顔のミュリエルとしてはベリンダ姫が羨ましいことこの上ない。
 つまり、ハイスペックなのはベリンダ姫も同じということ。
 しかし、王族という立場上、兄とのほんの少しの差が厳しい山となってくるのかも知れない。

 それにしても。
 美貌も、勉学も、作法もミュリエルよりベリンダの方が上だが、何故か姫相手には劣等感が生まれない。

(王族という、格上の存在だからかしら?)

「ああもう、可愛い! グリゼルダにエルは勿体ないわ」

 わざわざ立ち上がってぎゅっとハグしにくる王女様に、むしろミュリエルの方がきゅんとする。きつい顔立ちと王女らしい立ち振舞いから誤解されがちだが、ベリンダは優しくて可愛らしい姫君なのである。

(よし、ベリンダ姫の陰口叩いた奴、見つけ出して灸を据えてやりますわ)

 ふふふと企んでいると、ベリンダはそっと離れ、ミュリエルの手を握った。

「グリゼルダに困らせられたら、すぐに私に言うのよ」

 間近で見ても、本当に綺麗な方だ。透き通る白磁の肌に、きつく巻かれた銀の髪は儚げでいて。けれど、濃い紫の瞳に凛とした美しさを宿したひと。心が綺麗だから、尚美しいのだ。悪口を言える人間の気が知れない。

 ふと、微笑みを交わすベリンダとグリゼルダが脳裏に過る。

 けれど胸の内に残るは、羨望のみ。自分にも、せめて姫のような美貌があれば――――。
 物思いに沈んでいたせいで、ミュリエルは不覚にも、ベリンダの呟きを聞き逃した。

「禿げておしまいなさい、グリゼルダ」

 その時の姫の表情を見逃したのは、ミュリエルにとって幸いだろう。なにせ、ミュリエルはベリンダの(彼女なりに)優しい顔しか知らないのだから。




4.侯爵様はイケ猪

 城から帰る途中で、またグリゼルダに捕まった。しかも彼は勝手に馬車に乗り込んだ。彼が乗ってきた馬車は着いてくるようだ。

「さっさと帰っていれば良ろしかったのに」

「お前、城に招かれたら婚約者の送り迎えは常識だろうが」

 グリゼルダの言う通りだが、頻繁に呼ばれるミュリエルはベリンダ姫から免除されているので必要ない。

「お前、王女に甘え過ぎていやしないか?」
「羨ましいでしょう、ほほほ」
「笑い方まで似てきやがって」
「なんて失礼なことを! 私なんて姫様の足元にも及ばないですわ」

 力説すれど、当たり前だろ何言ってんだコイツという目で見られた。殴りたい。

「それより、そろそろ馬車降りてご自分の屋敷にお帰りなさいな」
「叔父上に用があんだよ。親父の生誕パーティーのことで」

 そのままミュリエルの屋敷までくるつもりらしい。けれどそのことよりも、グリゼルダの父親の生誕パーティーに耳が反応した。
 表情の変化を目敏く見つけたグリゼルダは呆れたように言う。

「いつもパーティーは嫌がる癖に」
「だって、義伯父様にお会いできるのよ。胸踊らない訳がないですわ!」

 グリゼルダの父、コールシェン侯爵はグリゼルダより余程男前な顔立ちの紳士だ。しかし、ミュリエルが、いや、多くの女性が彼に熱をあげるのは、それだけが理由ではない。

 黄昏の悪夢と呼ばれる、十二年前の事件による。

 ミュリエルたちがまだ物心つくかつかないかの頃、王都は再び魔族に侵攻を受けた。すぐにミュリエルの母を筆頭とした結界魔導師たちが魔族の行く手を阻んだのだが、隙を突かれ、まだ幼かったベリンダ姫が連れ去られてしまったのだ。
 英雄の子孫たちがいるとはいえ、彼らもまた平和な世しか知らない身。しかも、時悪くコールシェン侯爵は猪姿。まず初めは斥候舞台を投入しようとしたのだが、それこそ無駄死にさせるようなものだと、コールシェン侯爵は大反対した。

『俺は只の呪われ猪に成り下がる気はない。それなら戦場の華となって散る!』

 果敢にも先陣切って魔族のアジトに乗り込み、制圧し、姫君を奪還した。その様は彼が宣言した通り、只の猪ではなく戦神のようだったと、その場にいたものは言う。
 それ以来、グリゼルダの父は『英雄の再来』だとか、『英雄の血を継ぐもの』だとか讃えられ、男女問わず人気の御方なのである。その容姿からして物心ついた頃からコールシェン侯爵に憧れていたミュリエルは、その話を聞いてますますその想いを強くした。

 義伯父であり、義父予定の御方ではあるが、忙しい身のためそうそう会う機会はない。けれど、今度のパーティーなら少しは話す時間もあるだろう。

「格好つけても猪は猪じゃねえか」

 ぼそっとグリゼルダが呟くが。

「貴方にそのまま返ってくる言葉ですわよ」

 グリゼルダは撃沈した。

「いえ、それは義伯父様に失礼ね。猪の御姿もそこらの男性より格好良いですもの」

 うっとりと回想にふけると、憮然とした声が割り込む。

「お前、俺にそんな目向けたことあったか?」
「あるわけないでしょう」

 全く、誰もが自分をイケメンだと思わなければ気がすまないのかこの男は。あれだけ女の子に囲まれていれば(しかも綺麗どころ!)充分だろうに。

「そもそも、最近貴方のその姿見ていませんもの」
「誰が好き好んであんな姿見せるか」

 グリゼルダは心底嫌そうに、頬杖ついてぷいと窓に顔を向けた。

 見ての通り、グリゼルダは猪化を嫌がるが、ミュリエルは嫌いじゃない。コールシェン侯爵のような格好よさはないが、愛嬌はあるのだ。ぴこぴこ動く耳、つぶらな瞳。何気に肌触りのよい産毛。小さい時は、よく可愛がって嫌がられたものだ。

(最後に見たのはいつだったかしら?)

 そうして思い返せば、もう何年も彼の変化姿を見ていないのだということに気がついたのだった。




5.謎タイミングでの猪化

 屋敷に着くと、グリゼルダはミュリエルの父親に会いに行ったので、ミュリエルは自室に籠った。晩餐の頃には帰っているだろうと思ったのだが、屋敷には何だかまだそわそわした気配がしていて、ミュリエルは首を傾げる。

「何かありましたの?」

 近くのメイドに尋ねる。

「グリゼルダお坊っちゃまが変化なされたようで、今夜はお泊まり頂けるよう準備をしております」

 変化とは、つまり猪化だ。上階で働くものたちは殆どがグリゼルダを小さい頃から知っているので驚かないが、急な予定変更となったので忙しくしているようだった。

 それにしても、何故ここに来て突然の猪化。

「好きでしたんじゃねぇよ」

 気になったので彼の部屋に訪ねていくと、グリゼルダは不機嫌そうに言った。姿を見られるのが嫌なのか、然り気無く半分ほど扉に隠れている。

「嫌がるあまり、猪化を怠っていたのじゃなくって?」

 一定期間猪化していないと、意思に関係なく猪化し、一定期間戻れない。そのため、家に居る間など、変化しても困らない時間に自主的に変化していたはずだ。

「俺ぁ計画性のある男だぜ? ちゃんとしてたさ」

 なら何故と問えど、こっちが知りたいと無愛想な返事が返ってくる。

 それにしても。

 ちらとグリゼルダを見る。

 への字に曲げた口に睨むような目だが、人の姿時ほどうまく表情が作れないらしく凄みはない。むしろ、しょげている顔にも見える。しかも、ぴこぴこ動く耳は健在だ。子供の時の全面に押し出した可愛らしさはないが、やはり愛らしい。グリゼルダのくせに。この体に合わせて作られた服も、二足歩行もまたあざとい。変化しても愛らしいとはズルいが、このズルさなら許そう。
 こうして見てしまうと、焼き猪などという鬼悪魔な言葉は萎えてくる。

(やっぱりてっぺんハゲですわね)

 悪寒でも感じたのか、グリゼルダは邪険にするようにしっしと蹄を振った。

「いつまで部屋に居るんだ。出てけ」
「ここは私の家ですわ」

 むっと睨めど、ぴょいぴょい動く耳に視線が逸れる。
 それが仇となったか。

「ちょっ、結界使うほどのことですの!?」

 隙をついて部屋に結界を張られ、扉を閉められてしまった。
反射的にドアノブを握ったが、びくともしない。守護魔導師の家系のミュリエルより余程上手に結界を張るグリゼルダに敵うはずがなかった。

「もう!」

 ミュリエルは憤然とその場を去った。しかし、久々に見た変化を思い返し、顔が勝手ににやける。

(あれはグリゼルダ、あれはグリゼルダ!)

 どんなに愛らしくとも、中身はグリゼルダなのである。暫く見なかったから、調子が狂っているのだろう。

(もう! いっそずっとあの姿であれば――――)

 感情のままに浮かんだ願いを、振り払うように頭を振った。

(違う。人のグリゼルダを越えなければ、ダメなの)

「そう、目指せてっぺんハゲですわ」

 ミュリエルは弱くなりそうになる自分を叱咤した。――――その方向は、些かアレだったが。




6.遺伝よ仕事してください

 次の日。朝食の席に姿を見なかったので、グリゼルダは帰ったのかと思ったのだが、部屋に引きこもっているだけだったらしい。何だか気になって、部屋を訪ねてみる。
 すると、弟のシリルがグリゼルダの部屋を出てくるところにはちあわせた。婚約者は追い出したくせに、従兄弟であり義弟予定は招き入れたらしい。仲が良いとはいえ、扱いの差にちょっと釈然としない。
 こちらに気がついた弟は、姉の機嫌にも気がついたようで困ったような笑みを浮かべた。

「姉さん、そう不機嫌にならないで。ゼルだって意地悪でやってるんじゃないんだから」

 ミュリエルと違い、祖先の美貌を受け継いだシリルのそれは、天使の笑みだ。

「シリル、部屋に入るときは扉は開けておきなさい」
「何の心配してるのさ、姉さん」

 もちろん、天使の心配だ。あの男、顔で選別したというのかそうなのか。

「だって、貴方可愛いのだもの」
「姉さんの方が可愛いに決まってるでしょう」

 なんて出来た弟だ。あの男に見習わせたい。しかし、身内の欲目を差し引いても、弟の方がずっと美形であるのも事実だ。昔は似たり寄ったりの顔立ちであったというのに、何故ミュリエルだけが未だに一重の地味顔なのか。もはや呪いの域である。いっそ呪いであるとして欲しかった。

「ああ、一割でも美貌を分けてほしかったわ」
「姉さんはゼルがいるからいいじゃない。僕も必死なんだよ」

 確かに、生まれた時から婚約者がいるミュリエルと違い、シリルは家を継いで跡継ぎを産んでくれるお嫁さんを探さなければならない。見目がよい方が、婚活の助けになるだろう。

「でもせめて、守護魔法くらいはご先祖様の恩恵に与かりたかったわ」
「……いや、充分だと思うけど?」
「どこがですの。うちで攻撃系は私だけだわ。婿であるお父様ですら守護魔法系というのに」
「姉さんは不浄を浄化するぐらいの炎魔導師じゃないか」
「根こそぎ灰にするのを浄化と言ったら守護魔導師に叱られてしまうわ」

 困った顔のままのシリルに気がついて、ミュリエルはそれ以上の愚痴を噤んだ。

「とりあえず、グリゼルダをてっぺんハゲにするのが目標ですわ」
「今の話の流れでどうしてそうなったの!?」
「だって猪の丸焼きは可哀想に思えてきたのだもの」
「てっぺんハゲも可哀想だよ……?」
「人姿と猪姿じゃ天と地ほどの差があるからですわ」

 その時、バンと扉が開いた。

「……悪かったな、天と地ほどの差があって」

 やややつれた様子のグリゼルダは、人の姿に戻っていた。不機嫌な面持ちだ。

「戻ったんだ」
「根性で戻った」

 目を丸くするシリルの問いに、グリゼルダは眉間に皺を寄せて頷いた。

「でも、あんまり無理しない方がいいんじゃない? 侯爵の生誕パーティーまでもう日がないんだし」

 シリルの言うことも尤もだ。いくら嫌だからと言って無理矢理元に戻っても、人が多く集まるパーティーの時に人に戻れなかったら本末転倒である。

「今日も城に行くんだ。そのパーティーの詰めをせにゃならん。いい年したオッサンの誕生日なんざ祝わんでもいいだろうによ」

 侯爵の生誕パーティーには王子も出席する。警備についての最終確認やらなんやらがあるのだろう。この家に来たのも、ミュリエルの父母も警備に関わっているからだ。ちなみに、守護系統の魔法はからっきしのミュリエルはノータッチである。

「気休めだけど」

 シリルがグリゼルダの額に軽く触れる。自分の気を相手に分ける魔法を使ったのだ。ほんの少しグリゼルダの顔色が良くなる。

「朝から悪いな」
「特に予定があるわけじゃないから大丈夫」

 ミュリエルが使えばたちまち自分の顔が真っ青になる魔法だが、流石ご先祖様の力を受け継いでいるシリルである。特にぐったりした様子もなく微笑んだ。

「…………」

 ミュリエルはくるりと背を向け、その場を後にした。




7.王子と側近候補の密談とのろけ


 王子の学友であるグリゼルダは、王子の自室を直接訪ねることを許されている。まあ、自室と言っても訪ね入るのは執務用の部屋なので、約束の時刻に訪れた時も彼は書類を捌いているところだった。

「おや珍しい。今日は何だか疲れているみたいだね。準備も大詰めになってきて流石に疲れたかな?」

 顔を上げたエミール王子は開口一番に指摘してきた。シリルにある程度回復させてもらったので、顔に出しているつもりはなかったのだが、この王子はさらりと見抜いてしまう。

「いえ、ちょっと別件で。失礼致しました」
「気にすることではないよ。それより、別件とは?」

 興味本意ではなく管理の一貫としての口調に、グリゼルダは素直に昨夜のことを説明した。こればかりはプライド云々を主張することはできない。王子自らが知っておくべき情報と判断したからだ。
 聞き終えたエミールは、痛いところを突いてきた。

「なるほどね。それで、パーティーの日に変化が解けなかったらどうするつもりだい?」
「……お許し頂ければ、予定通り御側にて警護を務めます」

 いくら猪化が嫌だとも、それを理由に役目を放棄するのは、矜持が許さない。

「勿論、どちらの姿でも頼りにしているから構わないよ。エルも予定通り出席するのかな?」
「ええ」

 グリゼルダが王子の警護にまわるため、エスコートは弟のシリルに任せている。猪化しようがしまいが、元から横に立つ予定はないので支障はない。

「心情としては変化した姿での君の勇姿を見せてあげたいけど、恙無くパーティーを終えることが大事だからね」
「仰る通りです。見せびらかすために強くある訳ではないですから」

 此度のパーティーの裏側で、不穏な動きが報告されている。英雄の子孫かつ、自身が英雄でもある侯爵のパーティーで万一のことがあっては、国のメンツ丸潰れだ。何が起きても大丈夫なように、警備について念入りに確認していた。
 狙いは王族のようであるからと、エミール王子自らが囮を買って出たため、なるべくパーティーの参加者には気取られないよう秘密裏に処理するつもりだ。

「本音を言うと、君もリンダにつけたかったのだが、今度ばかりはね」
「ベリンダ姫にはエルもシリルも学友たちもついておりますからご安心ください。……本当に、妹君を猫可愛がりなさってますね」

 異母兄妹で、妹姫に対抗心を燃やされていることを知りながらも、エミール王子は本気でベリンダを可愛がっている。充分な警護がされることを知っていながらも、心配なようだ。

「だって可愛いだろう?」

 本気で首を傾げられても困る。

「禿げろ禿げろと呪われている私に言いますかそれ」
「ははは、私も禿げろと呪われているよ」
「そこは咎めましょうよ」

 王族の呪いは洒落にならない。いや、ベリンダ姫も本格的に呪っているわけではないだろうが、王族の場合、ちょっと負の感情が混ざると、それだけ呪いになりやすいのだ。だから、グリゼルダはミュリエル相手よりもベリンダ姫の呪いに注意しなければならない。猪化の呪いの上に禿の呪いまで背負ってしまったら尊厳の逃げ場がないではないか。
 しかし、危機感のない王子はくすくすと笑う。

「可愛らしい呪いじゃないか。本物の呪いを仕掛けるほど本気で思っているわけじゃなし。しかも、禿げていたって大して私の美貌を損なうことはないと、あの子は本気で思っているんだよ」

 フォローしたいのか、のろけたいのか、どっちかにして欲しい。

「私のことは毛根殺す勢いで思っているみたいですが?」
「リンダはミュリエル嬢を大層可愛がっているからね」

 そうなのである。昨日の、ミュリエルを借りていくと言ったときの顔ときたら。笑顔に紛れた『ざまあ!』の表情はいっそ清々しいほどだった。
 おまけに、ミュリエルから愚痴でも聞いたのか、頭頂部に殺気を感じる始末だ。そんなところに殺気を送れる猛者はベリンダ姫しかいない。むしろ、そんなピンポイントな殺気を送ってくるのはベリンダ姫しかいない。

「しかし、双子はおいたが過ぎるね。一度きちんと躾ないといけないかな」

 王子が双子と言えば、五つ下の第二王子・王女のことだ。継承権第一位のエミール王子のことを快く思ってないようで、ちょくちょくイタズラを仕掛けてきていたのだが、ここに来て厄介なことを企んでいるようなのである。手を組むまではいっていないようだが、魔族に手を貸しているような動きがある。
 困らせてやろう、ぐらいに思っているのだろうが、かつて魔族に滅亡まで追い込まれかけた国の王族がしていいことではない。確かに、彼らのやろうとしていることに比べれば、ベリンダ姫はまだ可愛らしい方かもしれない。

「それにはまず、可愛い尻尾を観測するところからはじめようか」

 一波乱が予測されるパーティーまで、あと数日。




8.崇拝度と危険度がアップした昼下がり

 ミュリエルは英雄の血の副作用か、貴族の娘にしては元気すぎる嫌いがある。だが、今はしおらしい様子でソファにてクッションを抱えていた。

(ああ、どうして私にはご先祖様のような素質がないのでしょう)

 いつもなら、「素質がなんですの!」と婚約者をハゲ散らかさせるための、違った、倒すための訓練に勤しむところだが、今日はちょっぴり元気がでない。
 別に、英雄の再来と言われるほどの資質を望んでいるわけではないし、人心を掌握したいからでもない。ミュリエルとしてはささやかな望みを叶える力が欲しいだけだ。

(どうして私がグリゼルダの婚約者になってしまったの)

 一度落ち込んでしまうと、どうして、どうしてがループしてしまう。

 容姿も、能力も何一つ敵わない――――釣り合わない私が。その上、呪いを和らげる資質もない私が。
 じわりと、弱さが目に滲む。
 幼い頃の記憶がミュリエルの心を刺す。



『やーい、呪われ猪!』

 子供の頃。グリゼルダをやっかんで、彼の呪いのことをからかいの対象にする悪童は何人かいたのだが、グリゼルダはあの勝ち気な性格と身体能力の高さで難なくやり返していた。それが悪童らは悔しかったのだろう。ある日、ミュリエルも引き合いに出されたのだ。

『一生猪のままのくせに、生意気だぞ!』

『婚約者は守護魔導師きっての落ちこぼれだもんな!』

 ミュリエルは守護魔導師としては平均的な能力があったが、英雄の子孫としては落ちこぼれであることを、周りの反応から察していた。けれど、炎魔導師としての才能を認められていたから、それまでそんなに重く受け止めていなかったのだ。だが、それがグリゼルダの呪いにも関わることであるのだと、この時はじめて気がついて、愕然とした。

(私が落ちこぼれだから、ゼルの呪いが解けないなんて……)

 有能なご先祖様たちが何代かけても解けていない呪いを、ミュリエルがどうにかできるわけもないが、それでも何もしてやれない自分が情けなくて悔しくて仕方がなかった。
 けれど、グリゼルダは言った。

『俺の呪いは、ミュリエルにしか解けない。お前らのヘボ魔法と一緒にするな』

 毅然と顔を上げて。
 思えば、この時にミュリエルは自分の恋心を――――。



(あああ、あああ)

 思わずクッションを抱えたまま、悶える。
 それから、我に返った。

(ゼルはああ言ってくれたのに、今の私はなんてザマなのかしら)

 こんな風だから、昨日みたいにグリゼルダが変化しても何もしてやれないのだ。回復させた分、まだ弟シリルの方が助けになっている。
 そこまで考えて、気がついた。グリゼルダは昔はそれほど変化を嫌がっていなかった。ミュリエルが見たがれば、自分から変化してくれたほどだ。あの自信たっぷりの彼が変化を嫌がるようになったのは、どうしてだろうか。

(私がダメすぎて見きりをつけられたとか――――)

 暗く落ち込むその脳裡に、光指すようにベリンダ姫の言葉が甦る。

『落ち込むようなことがあったら、これを読みなさい』

 それと同時に、昨日ベリンダ姫に渡された手紙の存在を思い出した。帰り際に、お守り代わりにと手紙を渡されたのだ。
 濡らさないようにハンカチで目元を拭ってから、手紙を開封する。

 レモングラスの香りがふわりとミュリエルを包み、滑らかな筆跡が短い言葉を届けた。

『目指せてっぺんハゲ、ですのよ!』

 思わずくすりと笑みがもれる。同時に、鬱々としていた心が軽くなった。手紙を胸にあて、鬱屈した気持ちを払う香りを吸い込めば、きらきらした気持ちが沸き起こる。

(ああ、なんて素敵な方なのかしら!)

 ベリンダ姫の学友という、栄えある地位を賜っているのだ。どうして、などと拗ねている場合ではない。誰もが得ることができるわけではない、この上ない幸せを、自分だって手にしているのだから。

(そうですわね、姫様。お互い頑張りましょう!)

 エミール王子ほどの素敵な方であれば、頭頂部が更地になったところで、なんら支障は出ないだろう。
 ベリンダ姫信者のミュリエルは、疑い無くそう思った。もしグリゼルダがこの内心を知ったら、姫の影響がここまで出てるとは、と絶句したであろう。

 容姿がどうしたことか。もっと化粧を研究してみよう。素質がどうした。練習あるのみだ。呪いがどうした。燃やし尽くすのみ。彼の毛髪ごと。

『範囲広がってんぞオイ!?』

 姫への崇拝度が30上がり、婚約者の毛髪危険度が30上がった、とある昼下がりの話。

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