霊感少女と人質姫君と変態王と憑いてる私

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1.憑いてる私はかく語る

 ああ、この男は天に二物も三物も与えられたから、人が当たり前に持っているものを与えられなかったんだわ。
 初めてその男を目にした時、ミミはそう思った。
 二十二歳にして国王というその地位。第四王子に生まれながらも、その地位をもぎ取った才能。地位ばかりか、周辺諸国まで従わせる国力。どんな豪傑かと思えば、王族らしい整った容姿。寝癖などつかなそうな銀の髪に、理知的なアイスブルーの瞳。血で血を洗う玉座争いを切り抜けたその剣の腕も中々だという。
(でも、これじゃあ女の子にはモテないんじゃなぁい?)
 男としてのアドバンテージをいくつも備えた彼には、致命的な欠点があった。
 十歳児誘拐アンド軟禁のロリコン野郎。
 ミミは只今城の一室に軟禁中である。
 いや、ちょっとその表現は正しくないかもしれない。正確に言えば、ミミが取り憑いている少女が、ロリ誘拐王に軟禁されているのである。
 そんなミミが何者かを語るには、とても曖昧な表現にしかならない。宿主にして霊感少女・エリー曰く、「人間の霊っぽい?」らしい。気がついたらエリーに憑いていた。姿形は光の玉らしいが、一体どこに目がついているのか、エリーとはまた違った第三者の視点でモノを見ることができる。エリーの体を乗っとり動かすこともできるが、幽体もどきの方が過ごしやすいので、滅多にやらない。
 元々は名前がなかったが、『ミミ』とエリーがつけた。昔飼っていた鶏と同じ名前だそうだ。なんだろう、解せぬこの気持ちは。
 それはともかく。
 目下の問題は宿主をあの変態王からどう逃がすかである。



 エリーは確かに田舎の雛にしては見目麗しい子だ。オレンジに近い金の髪に、ブルーグリーンの瞳。ふわふわと緩く波打つ髪。それに十歳だけが持ちうる愛らしさを兼ね備えているのだから、ロリコンに目をつけられるのも頷ける。
 しかし、それ以外は到って普通の女の子だ。平民の両親から生まれた、田舎の村で育った村娘である。ミミみたいな幽霊(?)をその身に宿すこともあるけれど、それ以外は普通だ。それこそが普通の主張を覆す致命的な特徴な気もするが、敢えて普通と主張したい。
『あの悪魔王に一撃入れるまでは絶対城から出ないわ!』
 十歳児とは思えない精神力で復讐に燃え上がっているが、多分普通の女の子だ。
 復讐に燃えて危険なことするより、逃げる方に力を入れて欲しいと思うミミだが、それでも活力になっているだけいいのかもしれないとも思う。なにせ、エリーはあの王の手下に両親を殺されてしまった。他の子供なら、食事もとらずに衰弱死してしまうところだろう。
 だが、エリーは出される食事を平らげている。時には泣き噎せながらも、無理矢理飲み込んで。復讐するにも体力がないとと、前を向いている。
『イッチニーサンシー』
 軟禁部屋で十歳児が腕立て伏せなんてシュールだが、まあ前向きなのはいいことだ。



 眠気がやってくる、夜の時間。
「かくれんぼか? 子供はもう寝る時間だぞ」
 そう、せせら笑うように言ったのは件の変態王・シルヴェスターだ。ガウンを着ていながら腰には剣とちぐはぐな装いをした王様は、ベッドカバーをめくりあげてこちらを見ている。
「…………チッ」
 寝台の下に隠れ、年若き王を待ち構えていたエリーは、襲撃が失敗したことに顔を思い切り歪めて舌打ちした。美少女が台無しである。
「埃だらけではないか」
 のそのそと出てこようとしたエリーを待たずに、脇を持ち上げてひょいと引っ張り出したシルヴェスターは眉をひそめた。
 一方、ぴゃっと身をこわばらせたエリーは、しかし意識を切り替え、宙ぶらりんの態勢を利用して蹴りを入れようと足を引く。どこまでも逞しい娘だ。
「湯を持て」
 それを横抱きにすることで抑えたシルヴェスターは、部屋の外で見張りをしている男にそう命じた。
 ぶすくれるエリーは連敗中だ。毎夜訪れる王に攻撃を仕掛けてはあしらわれている。それでも精神がへこたれないエリーも天晴れだが、命を狙われても毎夜訪れる王も王だ。ドSな見た目に反して、ロリ美少女にいたぶられるのが好きな変態さんなのだろうか。
(でもこの王って親族皆殺しにした上に周辺諸国から嫁と称して王女の人質をとってる鬼畜王でしょ? ドMなんてありえるのかしら)
 シルヴェスター王は親族を殺してその地位についた男だ。自国を治めるのに飽き足らず、周辺諸国に圧力をかけて王女を人質に差し出させ、その頭を押さえつけている。
「こら暴れるな」
 考え事をしている間にエリーはごっしごっしと王手ずから洗われていた。女官にやらせればいいものの、何故己の手でやるのか。変態だからか。変態だからだ。
(うん、ドMでもおかしくないかもしれない)
 ミミは納得した。



「打倒悪魔王!」
 今日も今日とてエリーは、筋トレを頑張っている。ドレス姿でせっせとスクワットをする様はなんかもう、囚われの身の上を返上してもいいかもしれない。十歳といえど羞恥心を知る乙女は、昨夜の怒りをもエネルギーにし、燃えていた。
(せめてもう少し行動範囲が広がるといいんだけど)
 今のエリーの世界はこの部屋の中で完結してしまっている。成長盛りの十歳の子供がだ。今はガッツがあるが、その反動がいつくるのかと思うとミミは心配でならない。それに、あの年若き王の気がいつ変わるとも知れない。
(けど、どーも引っ掛かるのよね)
 周辺諸国から人質を出させているシルヴェスターだ。エリーぐらいの年の子を差し出させれば、血統書つきの美少女を手に入れられるだろう。なのに、何故その両親を殺してまで村娘のエリーを浚ったのか。その執着がどこから来ているのだろう。それが今後のキーになる気がする。
(何処かで偶然会って一目惚れ?)
 なにそれ変態過ぎる。
 まあ一応エリーに聞いてみようと思い。
 けれど、その質問は外の騒ぎに掻き消された。
 認識できたのは、強く物がぶつかる音と、乱暴に扉が開けられた音。もしかしたら、呻き声とかも混じっていたのかもしれない。
 扉を開けたのは、十代半ばの可憐な美少女だった。ドレスを着ているところからして、嫁兼人質の姫君だろうか。それにしては、半開きのドアから廊下に倒れている男が見えるのだが。
(敵? 味方?)
 エリーも同じ事を思っているのか、警戒するように少女を見ている。
「ここは危ないですわ。こちらにおいでなさい、姫」
 少女はあくまでもたおやかに声をかけてきた。もしや、同じ人質仲間だと思って助けに来たのだろうか。
 考えている間に、エリーが声を上げた。
「嫌よ。何としてでもあの悪魔王に一撃入れてやるんだから」
 本当にどこまでも逞しい娘だ。
 少女は断られると思っていなかったのか、驚いたように目を瞠り、やがてにこりと笑った。
「態勢を整えてからの方がいいわ。貴女一人では無理よ。今は逃げましょう? 早くしないと人が来てしまうわ」
 逃げられるなら、それに越したことはないか。
 ミミはそう思い、エリーの体を一時的に乗っ取ってしまおうかと考えたが、エリーが警戒する小型犬のような顔をしていることに気がついた。
『あ、これついてっちゃダメなやつ?』
 エリーに聞けば、とんでもない回答が返った。
『ダメだって首がないおじさんが腕でバツ作ってる!』
 何だそのホラーなのかコントなのか分類に困る状況は。
 しかしこの霊感娘は動じることもなく、むしろ見知らぬ少女の方を警戒するように睨み見ていた。
「ほらおいでなさい」
 少女が部屋に入ってきて、エリーは一歩後ずさる。攻撃しようか迷うようにブルーグリーンの瞳が揺れているのは、流石にたおやかな少女相手に攻撃することを躊躇っているようだった。そのあたりは年相応である。
(敵なら少女だろうが、ぶっとばすわよ)
 とはミミの自論なので、取り敢えずエリーを乗っ取ろうかと考えたとき。
「っ!」
 音もなく、第三者がこの部屋に現れた。
 目に飛び込んだのは、ふわりと揺れる薄い金の後れ毛。
 気づけば、第二の乱入者は少女の腕を捻り上げ、床に押さえつけていた。少女はもがいているが、人形のように無表情の乱入者は微動だにしない。それどころか、片手で相手の首の付け根を打ち、昏倒させた。
 乱入者は成人したばかりであろう、まだ若い女性だった。薄い金の髪を結い上げた、紅碧の瞳の美しい女性である。ドレスを着ていることから、この女性もどこかの姫君だろうか。ところで、見張りの男を昏倒させたり、他の女性を組伏せたり、この人たち本当に人質の姫なのだろうか。
「……あなた誰?」
 困惑したように、エリーが女性に尋ねる。先程とは違い警戒より困惑が強いことから、敵である要素が見当たらないのだろうか。
 女性はエリーに視線を向けたが、言葉がわからないのか、口を開かない。じっと無表情にエリーを見ている。
 さてこの状況どうするべきかとミミが考えていると、荒々しい足音が近づいてきた。
「エリー様!?」
 いつも食事を運んでくる壮年騎士である。男は女性に視線を止めると、驚いたようにポツリとこぼした。
「ミシュリーヌ姫……?」
 やはり、人質の姫らしい。改めて人質の姫の定義を見直したいミミだ。
 それから男ははっとしたようにエリーへと視線を向ける。
「エリー様、お怪我は」
「ない……けど……」
 エリーはつっけんどんながら答えた。自分を軟禁している悪魔王の手下だから気にくわないが、心配そうに尋ねられると撥ねつけにくいのだろう。心優しい娘なのだ。
「ミシュリーヌ姫は何故こちらへ」
 問われたミシュリーヌは男へ顔を向けたが、無言だった。それを半ば予想していたように、騎士は諦めのため息をつく。
「カレリア姫をこちらへ渡してくださいますか?」
 すると、ミシュリーヌは大人しく気絶した少女から身をどかした。言葉は通じるようである。口がきけないのだろうか。
 遅れて到着した部下にカレリアを引き渡した騎士は、ミシュリーヌに苦言を呈した。
「ミシュリーヌ姫、エリー様を守って頂いたことは誠に感謝致しますが、勝手に部屋を出ていかれては困ります。お戻りください」
 ミシュリーヌは拒絶するようにふるふると首を横に振った。
「この部屋に留まると仰るのですか?」
 今度は縦にこっくり。
 騎士は渋面を作り、眉間に指を当てた。
「ではエリー様、部屋をお移り……」
 言い終わる前に、ミシュリーヌはがっしとエリーに抱きついた。流石のエリーも目を白黒させ、されるがままになっている。
「ミシュリーヌ様」
 騎士が睨んでも、ミシュリーヌは平然と見返すだけだ。
『なつかれる覚え、ある?』
 ミミがエリーに問えば、困惑した声が返った。
『見たこともないお姉さんだよ』
 はっとミミは閃いた。
 まさか、このお姉さんもロリコンだというのか。
 綺麗な顔立ち。囚われとはいえ姫という立場。軽やかに捩じ伏せる戦闘力。二物も三物も与えられているのだから、あり得ない話ではない。
(ロリコン王とどっちがマシかしら?)
 同性なだけ、こちらの方がまだいい気がする。
 そんなことを考えていると、また部屋に近づく足音が聞こえてきた。
「エリー!」
 噂をすればなんとやら、変態王である。昼に訪れるとは珍しい。大事な大事なロリに一大事とあって、駆けつけてきたのだろうか。仕事しろよ王様。
「貴様エリーに何をしている!?」
 エリーに抱きついているミシュリーヌに気がついたシルヴェスターは目をつり上げた。異性に嫉妬するとは心が狭い。変態との二重苦だ。
 がっとその腕を掴んだシルヴェスターは、ぎりぎりとその手に力を入れたようだが、ミシュリーヌはエリーを抱き締めたまま平然と見返している。
 両者の間に走る緊張を破ったのは、ミシュリーヌでも、シルヴェスターでもなく。
「やめて!」
 ばしっとシルヴェスターの手を叩いたエリーだった。
 ぱっと手を離したシルヴェスターは、いつも皮肉げな笑みを浮かべているその顔にはっきりと驚きをあらわにする。
 エリーは噛みつきそうな顔でシルヴェスターを睨み見た。エリーがどちらに信を預けているのか、一目瞭然であった。
 苦虫を噛み潰したような顔で、シルヴェスターは姫に問う。
「――――貴様、何故そうエリーに固執する?」
 しかしやはり、ミシュリーヌは答えない。
「貴様はエリーの味方になるつもりか?」
 ミシュリーヌはこっくりと頷いた。
「俺の不興を買っても?」
 やはり縦に頷く。
「エリーから離れれば国に帰してやると言っても?」
 それでも縦に頷いた。
 シルヴェスターの眉間に高い高い山脈ができる。
「……何故そこまで固執する?」
「…………」
 最初の質問に戻ると、再び黙りになった。その質問はわかりません、イエス・ノーで答えられる質問にしてくださいとでも言い出しそうだ。本当に人形のような姫君である。
 岩のように動かない姫と、彼女にしがみついたエリーに、結局シルヴェスターが折れたのだった。



 そんなハプニングはあったものの、エリーの生活は元に戻った。変わったことと言えば、ミシュリーヌ姫が甲斐甲斐しくエリーの世話をするようになったことである。本来なら世話をされる立場であろうに、お国柄なのか、手際はよい。まあ、一人で着替えも部屋の掃除もできるエリーは困惑していたが。
 そのエリーが喜んだのは。
「捻るように蹴るべし蹴るべし」
 ミシュリーヌ姫から訓練を受けられるようになったことである。一体、この見た目たおやかなお姫様はどういう理由から格闘技を身につけているのだろうか。人質というか、もう姫の定義を見直した方がいいかもしれない。
「どうしてミシェルお姉ちゃんは強いの?」
 エリーの質問にも、ミシュリーヌはやはり答えることはない。表情が動くこともない。小首を傾げるだけだ。
 けれど、ミシュリーヌはまるで母親のように優しかった。世話をするのは勿論、エリーがぎゅっと抱き締めれば優しく抱き締め返し、はにかめばいつも無表情のミシュリーヌも微笑み返す。無表情でエリーを寝かしつけている様はちょっとシュールだが、眠りが浅かったエリーが深く寝入るようになったのは、そんな彼女の優しさを一番に感じ取っているからなのだろう。十歳の子供に必要な愛情を傾けるミシュリーヌは、ミミにとってもありがたい存在だった。
(私じゃ抱き締めてあげることも、添い寝してあげることもできないからね)
 だから、思うのはひたすら純粋な疑問だ。
(一体どうしてあんなにもエリーを大事に守るのかしら)
 あの王といい、ミシュリーヌといい。そして、あの捕らえられたカレリア姫といい。皆がエリーに執着する。エリーには一体どんな秘密が隠されているというのか。
 そうして、幾度か夜は巡り。
「……なんだこの面妖でお粗末な仕掛けは」
「お粗末で悪かったわね!」
 今日も元気に変態王抹殺に失敗したエリーは怒り露に噛みついた。
「最近食器が帰ってこないと報告は受けていたが……」
 床に落ちた、スプーンが大量に入った袋を見て、シルヴェスターは嘆くようにため息をつく。頭上落下を狙ったと思えるそれは、扉を開けた途端、部屋に入る隙を与えない速度で落下した。暗殺を嘆いているのではなく、頭の残念さに嘆いているようだ。
「ミシェル。お前勉強教えられるか?」
 エリーの影響か、気づけば愛称呼びになったシルヴェスターの問いに、お姫様は無表情でこっくりと頷いた。
 勉強なるものとは相性が悪いエリーは顔をひきつらせる。
「俺に一矢報いたいなら、もう少し勉強しろ。教材は用意させる」
 一矢報いるの言葉に、エリーはぐっと詰まった。勉強嫌いと天秤にかけて揺れているようだ。
 そうして、エリーの毎日の習慣に勉強が加わった。
 だからだろうか。
『エリー、貴女、熱あるんじゃない?』
 ある朝、エリーは熱を出した。ミミは体の怠さに辟易しながらエリーに確認するが、返答がない。ただの病人のようだ。
 果たして、あの人形のようなお姫様に病人の看護が出来るのだろうか。
 既に着替えも髪結いも終えたミシュリーヌを見上げれば、視線に気がついたお姫様は未だ寝台で横になっているエリーの額に手を当てた。考えるようにじっとしていたかと思えば。
「はがっ!?」
 豪快にエリーに口を開けさせ、口の中を覗き見た。それから、目を覗き見たり、喉元に触れたりしたかと思うと、部屋を出ていった。カゼに気がついたのだろうか。雑すぎる診察である。
「あっ、朝のースクワットー」
 エリーがベッドから這い出ようとしていたので、ミミは遠慮なくその体を乗っ取ってベッドに横になった。いつももっと広い視点から見ているので、人間の狭い視界は新鮮であり、ちょっと不安だ。だから目を閉じる。
 暫くそうしていると、ミシュリーヌが食事と薬をのせた盆を持って戻ってきた。何故かシルヴェスターもいる。だから仕事しろよ王様。
 ミシュリーヌはエリーの身を起こすと、まず食事を口に運んだ。エリーに扮したミミは大人しく食べる。今この体をエリーが動かすのは辛かろう。食事をとり、薬を飲むのを見届けると、シルヴェスターは出ていった。何しに来たんだあの男。
(これじゃ、まるで……)
 考え事は襲いかかってきた眠気に中断された。



 次にミミの意識が覚醒したのは、真夜中だった。エリーが熟睡しているのが見えた。気づけば体から離脱していたようである。
 眠るエリーの傍らには添い寝するミシュリーヌと、椅子に座るシルヴェスターの姿があった。小さい明かりだけつけ幼子を見守るその姿は、まるで夫婦のようだ。
「……治るんだよな」
 エリーに目を落としたままぽつりとシルヴェスターが問えば、ミシュリーヌはこっくりと頷いた。
「お前は看病できるんだよな」
 姫は任せろと言わんばかりに頷く。
 シルヴェスターは暫く口を閉じたあと、ゆっくりとミシュリーヌに目を向けた。その目は睨むよう。けれど、彼にしては珍しく弱々しい問いを投げた。
「ミシェル、俺はお前を信頼していいのか……?」
 ミシュリーヌは考えるようにゆっくり瞬いた後、小首を傾げた。イエス・ノーで答えられる問いには答えてきた彼女にしては、珍しい反応だ。
「そこで首を傾げるのか」
 取り方によっては不穏とも取れる反応に対し、シルヴェスターは怒るわけでもなく、苦笑いした。甲斐甲斐しくエリーの世話をするミシュリーヌを見てきたせいなのか、彼女への態度は軟化してきている。
「……でもそうか。お前は俺の味方ではなくて、エリーの味方なのだろうな」
 しっかりと頷くミシュリーヌに、けれどシルヴェスターは彼にしては柔らかく笑った。ミミが見る限り、これまでで一番優しい笑みだった。
 それを見て思う。
(この人、まるでエリーの保護者みたいじゃない?)
 食事を与え、毎日顔を見に来て、危険が迫ればかけつけ、病にかかれば心配をする。幾度エリーに攻撃されようと、嫌う素振りは見せない。貴族や周辺諸国に恐れられるこの男は、けれど今この時は人の親のような顔をしていた。
 だがしかし、である。
(なんにしたって、エリーにとっては両親を殺した憎き仇。その仇に閉じ込められたまま、健康な心を維持できるわけがない)
 現に、エリーが倒れたのは、決して慣れない勉強をしたからではなく。ミシュリーヌに守られ気が緩み、これまで無理してきた反動が出たのだ。このままだとゆっくりと、しかし確実に衰弱に向かいかねない。
(――――もし、私の推測が当たっているとしたら、色々と辻褄が合うのよね)
 視線の先には、非道と罵られる王が愛しさと悲しさを入り交じらせた目で、眠るエリーを見ていた。



 三日たってようやく完全に熱が引き、四日目でエリーは元気になった。
「三日分の遅れを取り戻すぞー」
『病み上がりなんだから無理するの止めなさいよ』
 ミミは呆れるが、エリーは知らんぷりして腕立て伏せをしている。
 まあ、回復したなら何よりである。
 朝のストレッチ、食事を終わらせたのを見届けると、ミシュリーヌはさっと教材を取り出した。
 エリーはひくりと口元をひきつらせる。
「べ、勉強は病み上がりだからちょっと……」
 必殺、都合の悪いときだけ病人の振りだ。腕立て伏せをしておいて、なかなかの二枚舌である。
『そういえば、ミシュリーヌはどこの国のお姫様なのかしら』
 ミシュリーヌが持っていた地図を見て、ふと疑問に思えば、エリーもそう思ったらしい。
「ねえ、勉強するなら、ミシェルお姉ちゃんの国について教えて?」
 ミシュリーヌは一瞬きすると、地図を広げて指を指した。この国と国境を接している小国の一つだ。
「どんな国?」
 わくわくと見上げるエリーに、ミシュリーヌは紙とペンを取り出して、さらさらと何か書き出した。何かを書き出した。何かを。
「…………何?」
 エリーがミミの心の内を代弁した。このお姫様、字は大層上手なのだが、絵心は皆無のようである。
 ミシュリーヌは小首を傾げ、今度は文字を書き足した。ほんの少しだけだが文字を勉強したので、読むことができた。
 花。……太陽かと思った。
 鳥。…………むしろこっちの方が花に見える。
 織物。…………四角形とか雑すぎるだろう。
 それから、食べ物の話しになったり、服の話しになったり。エリーは楽しげに話していたのだが、つと声のトーンを落とした。
「……ミシェルお姉ちゃんはおうちに帰りたくならないの?」
 ミシュリーヌは小首を傾げた。
 エリーはなんだか泣きそうに顔を歪める。
 それを見て、ミミは「ああ」と思う。
(そうだよね。帰れたら、帰りたいよね)
 けれどエリーは軟禁中であるし、家に帰ったところでもう両親は亡い。
「どうして私のそばに居てくれるの?」
 エリーの問いに、やはり首を傾げるミシュリーヌ。
 しかし、この質問ばかりは答えてあげて欲しかった。
 エリーは心配でならないのだろう。いつかミシュリーヌが国は帰ってしまうのではないかと。それほどまでに、エリーはミシュリーヌになついていた。もっと言うならば、依存している。無償の愛を与えてくれるミシュリーヌは、精神的な面でエリーの保護者だった。
 顔を俯かせるエリーの前で、首を傾げていたミシュリーヌは文字を書き足した。しかし、知らない単語なのでエリーもミミもわからない。
 ミシュリーヌは小首を傾げると、更に書き足した。
 一緒。守る。大切。
「本当?」
 ぱっと顔を上げ、エリーは泣き笑いを浮かべる。
「……お姉ちゃんは死なない?」
 それは人間には無理な注文だったが、ミシュリーヌは頷いた。
 たとえそれが嘘とわかっていても、エリーはその腕に甘えた。
「約束よ」
 もし。
 シルヴェスターがミシュリーヌを殺害するようなことがあったら、この子の心は今度こそ壊れてしまうだろう。
(カマかけるなら、早い方がいいわね)
 ミミは計画を練りながら、その光景を見つめていた。

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